2010年01月17日

神戸・東遊園地の雪地蔵

 神戸市役所南側にある東遊園地にはひっきりなしに阪神・淡路大震災の犠牲者の鎮魂を祈るために訪れています。月日の経つのは本当に早いもので、1995年1月17日から15年を迎えました。

 1.17ひょうごメモリアルウォーク2010のゴール会場のHAT神戸では、号外が配られていました。てっきりの号外かと思ったのですが、朝日新聞でした。

 号外によると、「昨年11月時点で、神戸市の人口約154万のうち震災後に転入した人が26%、生まれた人が10%を占め、3分の1以上が「震災を経験していない市民」」になったとあります。

 その号外には被害状況も載っています。

阪神・淡路大震災
1995年1月17日 午前5時46分
マグニチュード7.3  最大震度7

  死者数     6434人
  負傷者数  4万3792人
  全壊住宅 10万4906棟
  半壊住宅 14万4274棟
  全焼建物    7036棟
  電話不通    30万回線
  停電      260万戸
  ガス停止     86万戸
  断水      130万戸

東遊園地の雪地蔵.JPG


 そういえば、アリスの2001年1月17日神戸での阪神・淡路大震災追悼コンサートの模様を収録したDVDもあります。

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2010年01月16日

阪神・淡路大震災後の神戸市営地下鉄の板宿駅から三宮までの徒歩通勤

 何でこんなことになってしまったんだー・・・。押し黙って黙々とただ歩くのみ。

 毎日の通勤はあまり変わらない風景だった。変わったのは毎日道路に積み上げられるゴミの山だ。ゴミの収集車は機能していないのだ。

 倒壊したビルはその姿をいつまでも見せたくないからか、重機で解体されていく。当初は重機のショベルがビルを解体する時に粉塵が舞い上がっていたのが、やがて放水しながら解体するようになっていく。ビル解体による粉塵から呼吸器を守るために防塵マスクを着用しての通勤姿になっていく。そして粉塵を飛散させないようにブルーやグレー色のシートで解体ビルは覆われるようになっていく。

 JR西日本が鷹取駅に仮設プラットホームをつくり、JRに乗って三宮方面に行けるようになるまで、神戸市営地下鉄の板宿駅から三宮までの徒歩通勤は続いた。2月中旬頃までだったであろうか。

 阪神・淡路大震災による道路の亀裂や段差、歩道だけでなく車道にまで倒壊した家屋の屋根や戸や窓ガラスなどの散乱、火事により焼け爛れ垂れ下がる電線などを避けながらの徒歩通勤だった。

 火事で文字通り焦土と化した御船通や大道通を帰る時はあたり一面光は全くなく漆黒の暗闇が続いた。懐中電灯を手に危険だと思われる箇所は覚えているからその付近に近づくと用心しながら歩いた。前方にぼんやりとした明かりがあるのは前を歩いている人の懐中電灯の明かりだ。随分と長い距離に感じた。

 通勤時には足元が危険であるので、トレッキングシューズをはいて仕事用の靴と服はリュックの中に入れて歩いた。何日かたつと、通勤者向けの屋台が少したつようになった。水分を補給するためや軽くお腹に入れるための簡易なものだった。利用者はあまりいなかったが。

 防災用の防塵マスクもあります。新型インフルエンザ対策用マスクだけではありません。
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2010年01月15日

「1.17のつどい−阪神・淡路大震災15周年追悼式典−」の生中継

 兵庫県では、阪神・淡路大震災を経験した地方自治体として、全国の皆さんに、震災の経験と教訓を伝えるために、「1.17のつどい−阪神・淡路大震災15周年追悼式典−」の様子をインターネットで生中継します。

 本生中継は、震災15年目の節目の日を迎え、阪神・淡路大震災の犠牲となられた方々を追悼し、安全・安心な社会づくりに向けて歩む決意について、兵庫から世界にメッセージを発信することを目的として行われるものです。

■放送日時・内容
   平成22年(2010年)1月17日(日)
   午前11時45分から午後0時30分まで(注)約30分前から視聴できます。
   兵庫県公館(神戸市中央区)の追悼式典会場から生中継

■視聴方法
  次のURLにアクセスしてください。
    http://scast.bitmedia.ne.jp/hyogo0117/index.php

  あらかじめ、視聴確認できるかどうかを確認しておいてください
  (現時点でも確認は可能です)。

■視聴に際して
  本生中継は、JAVAアプレットにより配信します。
  ほとんどのパソコンで、特別の操作なく利用できる無償のアプリケーションで、視聴のための専用ソフトがパソコン内に残りませんので、安心してご覧いただける、とのことです。

■本生中継の兵庫県のURL
   http://web.pref.hyogo.lg.jp/pa11/pa11_000000270.html
<<1.17は忘れない 1.17のつどい −阪神・淡路大震災15周年追悼式典− インターネット生中継>>

 災害に強い安心・安全なまちづくりを考えるには・・・
posted by booknikoniko at 16:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月14日

神戸転勤で阪神・淡路大震災に被災後、初めて神戸(三宮)に出勤した日

 平成7年(1995年)1月16日、東京・世田谷から神戸に引越ししました。翌日の1月17日は転勤休暇でした。まさか翌朝の午前5時46分に阪神・淡路大震災に遭うとは全く思いもしませんでした。

 転勤休暇ではあったものの1月17日には、新勤務先に何回も公衆電話から電話しました。近くで大震災が起こったであろうとは推測できましたが、誰かには電話がつながると思っていました。結局、一向に誰も電話に出ることは無かったので、東京の前の勤務先に無事であることを伝えたのは午後2時のことでした。その時はじめて神戸の勤務先の状況を知りました。

 当面神戸の勤務先には出勤せずに通勤ルートの見通しができる頃に正規の勤務先に出勤することで、しばらく正反対の方向の事務所に出勤することになりました。

 通勤には神戸市営地下鉄を利用するのですが、駅舎の柱の安全性の問題から地下鉄が走行できる区間が限られましたので、板宿まで地下鉄が走ることが決まった日から本来の勤務先に出勤することになりました。

 板宿からは山陽電車の路線に沿って山陽電車の本社のある西代に向かいました。山陽電車は全く動かずに日増しにレールはさび付いていき、電車がいつ動くか分からないままに放置され、やがてゴミの山が線路上にはみだしてきました。倒壊した家屋、火事で焦土と化した大道通、長田警察署前ではスコップを持った救出に向かう多くの自衛隊員を横目に進み、座屈した神戸市立西市民病院、陥没した大開通、この下に高速神戸鉄道大開駅の駅舎があるのですが、を進みます。新開地の交差点北西角には、既に三菱銀行兵庫支店の解体が始まっていました。

 ハーバーランドに聳え立つ神戸クリスタルタワーを目にした時はホッとしました。それまでに目にする光景とは異なり、無事に立っているビルの姿に非常な安心感を覚えました。旧西国街道の元町商店街に入るまでに感じたことは、ガソリンスタンドがすべて無事だったこと、意外に窓ガラスが割れずに下に落下しているのが少なかったことが印象的でした。

 神戸はじめての出勤時に撮った中から、スコップを持って救出にあたる自衛隊員と解体中の三菱銀行兵庫支店の2枚をアップします。

長田警察署前自衛隊員.jpg

三菱銀行兵庫支店解体.jpg



平常時の安心が非常時の大きな安心となります!

posted by booknikoniko at 17:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月13日

「嵐」の櫻井翔さんが演じる「神戸新聞の7日間」から15年後の神戸新聞

 神戸新聞社が入居していたJR三ノ宮駅前にあった神戸新聞会館ビルは、阪神・淡路大震災で全壊しました。その跡地は現在、平成18年(2006年)10月に新たに商業・オフィス複合ビルとしてオープンした「ミント神戸」があります。神戸新聞社自体は「ミント神戸」には入居しておりません。

 神戸新聞社自体は現在、平成8年(1996年)7月に神戸ハーバーランドに完成した神戸情報文化ビルに入居しています。阪神・淡路大震災以前から神戸ハーバーランドに新社屋を建設する計画がありましたので、神戸ハーバーランドに新社屋が完成するのは当初の青写真よりは早くできたことでしょうか。

 神戸市西区には「神戸新聞製作センター」が阪神・淡路大震災以前からあり、新聞印刷機能を担っていました。新社屋が完成するまでは、この「神戸新聞製作センター」に本社登記が移されておりました。財務や総務部門はここで機能しておりました。新聞発行の要となる編集機能も新たな仮社屋が見つかるまでは一時的に利用していたと思います。

 ハーバーランドに完成した神戸情報文化ビルには、神戸新聞、デイリースポーツ、ラジオ関西と高層階の壁面に表示があります。今年3月を目途に神戸新聞の子会社のデイリースポーツは、親会社に吸収合併される予定です。デイリースポーツ、ラジオ関西はいずれも連結子会社です。

神戸新聞:神戸情報文化ビル.JPG

商大より神戸新聞.jpg


 神戸情報文化ビルには、「神戸新聞松方ホール」があります。松方とは、世界的に有名な美術収集の「松方コレクション」の松方幸次郎のことで、川崎造船所(現川崎重工業)の初代社長です。川崎造船所同様に、神戸新聞は川崎正蔵によって創刊され、松方幸次郎は神戸新聞社初代社長でした。松方ホールとは、神戸新聞社初代社長の松方幸次郎の名を冠したホールなのです。

 松方ホールでのコンサートをお楽しみください!
posted by booknikoniko at 18:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月12日

JR新長田駅構内にある阪神・淡路大震災のモニュメントの寅地蔵

 JR新長田駅近くの若松公園には昨年、地域活性化のシンボルともいうべき鉄人28号の巨大モニュメントが誕生しましたが、このJR新長田駅構内の改札口付近の壁には、透明のカバーに被われた『寅地蔵』が建立されています。この『寅地蔵』は壁掛け地蔵で、ヒノキ板に彫られたお地蔵さんで、左まゆ毛に大きなイボがあります。

寅地蔵.JPG


 阪神・淡路大震災の年の10月24日、25日に、山田洋次監督の「男はつらいよ」のシリーズ最後になった48作目「紅の花」のロケが被災地の長田で行われました。
 渥美清さんが死去(1996年4月)された後も、長田の人々の寅さんへの思いは深まり、ロケ誘致のために地元で結成された「寅さんを迎える会」が寅地蔵の制作を決めた、とのことです。

寅地蔵由来.JPG


 『寅地蔵』の下には、寅地蔵の由来が寅さんカバンに、次のように書かれています。
 
     −−寅地蔵由来−−
1995年1月17日午前5時46分に発生した
阪神・淡路大震災は、6千3百余名の尊い命を奪いました。
焦土と化した神戸の街の復興を願う市民を元気づけようと、
映画「男はつらいよ」のロケがこの長田の地で行われました。
その主人公、「フーテンの寅」にちなみ、
犠牲者の鎮魂と、街の復興を願って、『寅地蔵』を建立しました。
         1998年8月4日 大橋3丁目自治会
                   寅さんを迎える会

 「男はつらいよ」寅次郎紅の花
posted by booknikoniko at 16:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月07日

「嵐」の櫻井翔さんが演じる「神戸新聞の7日間」

 最近はあまりテレビを見なくなりましたが、それでもよく見ている番組に「笑っていいとも」があります。昨日の東北楽天ゴールデンイーグルスの投手の田中将大さんから、今日のアイドルグループ「嵐」の櫻井翔さんに友達の輪がつながりました。翔さんが持参したポスターに「神戸新聞の7日間」の放送が、「土曜プレミアム特別企画」として1月16日の午後9時〜11時10分に放送されることが書かれていました。

 翔さんは、神戸新聞社の若きカメラマンを演じますが、阪神・淡路大震災に遭った神戸新聞記者の目を通して、被災地の人間模様が描かれるようです。

 神戸・三宮駅前にあった神戸新聞の本社ビルは全壊、新聞製作の機能が麻痺しますが、京都新聞社との事前協定に基づき、神戸新聞社は京都新聞社の支援を受けて、新聞発行を継続できました。

 神戸新聞の本社ビルに立ち入るためには、ヘルメットの着用が必須となった筈です。少し前に最新鋭の高速カラープリンターだったと思いますが購入しましたが、持ち出すのに重く大震災で傷んだ床を破る恐れがあるので、持ち出しを断念しましたが、しばらくたって「やっぱり持ち出すべきだった。残念無念」と幹部の方は言われました。

 全壊した神戸・三宮駅前にあった神戸新聞の本社ビルは、解体後暫定的に駐車場として利用されてきましたが、平成18年(2006年)10月に新たに「ミント神戸」として、商業・オフィス複合ビルとしてオープンしました。神戸新聞社自体は「ミント神戸」には入居しておりません。

神戸新聞.jpg

神戸新聞アップ.jpg


 上の2枚の写真は阪神・淡路大震災で被災した神戸新聞会館ビルです。ここに神戸新聞の本社がありました。下の写真では柱が大きく崩壊しています(いわゆるXマーク)。

 嵐ARASHI櫻井翔のコレクション!

posted by booknikoniko at 17:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月06日

阪神・淡路大震災で座屈した神戸市役所2号館庁舎

 神戸市役所2号館庁舎の北側にある花時計は、日本で最初に設置された花時計として知られています。この花時計が設置されたのは、昭和32年(1957年)4月6日で、阪神・淡路大震災で座屈した現在の神戸市役所2号館庁舎が、新庁舎として完成した時のことです。

 月日の経つのは本当に早いもので、今年の1月17日に阪神・淡路大震災から15周年となります。少しばかり振り返ってみたいと思います。

神戸市役所2号館.jpg

神戸市役所2号館北側.jpg


 上の写真2枚は、阪神・淡路大震災で座屈した現在の神戸市役所2号館庁舎です。座屈したフロアが水道局が入っていたと思います。座屈したため神戸市の水道インフラの設計書類を取り出すのに時間がかかったことは、水道復旧に時間がかかったことの一因だったでしょう。

 震災当日は、マンションや学校の給水塔に残っている水があり、それを利用しましたが、翌日には底をつき、自衛隊の給水車のお世話になりました。割合早く水道が復旧したので非常に助かりました。

 その時は全く知らなかったのですが、早く復旧したのには当時の三木市長の大英断がありました。それは、三木市の水道管を神戸市の水道管と一時的に接続する、というものでした。埋設されていた水道インフラが全くダメになったわけではありませんでしたので、三木市民のための給水を神戸市民(神戸市西区民)のためにも給水していただいたわけです。

 その後、神戸市本来の水道インフラが復旧されたので、一時的に接続された水道管は切断されることになりました。

 三木市民の皆様ありがとうございました。本当に助かりました。感謝申し上げます。

 備えあれば憂いなし!
posted by booknikoniko at 17:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 阪神・淡路大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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