2010年08月11日

神戸の坂本竜馬 旧神戸海軍操練所跡

 神戸のビジネス街の中心地の京町筋を、山側から浜側の海岸通に突き抜けると阪神高速道路下に京橋がある。その京橋の東側手前に錨の形をした史蹟旧海軍操練所跡がある。咸臨丸による最初の日本人による太平洋横断を務めた艦長が勝海舟である。この渡米経験から海軍の重要性を徳川幕府に力説してできたのが、神戸海軍操練所だ。勝海舟は全国から俊英を集め、日本海軍の基礎を作ったが、その中に坂本竜馬、後に兵庫県知事や外務大臣となる陸奥宗光らがいた。

2010_0811_旧海軍操練所跡.JPG


 錨の前には石の分厚い本が開かれている。そこには「神戸海軍操練所跡由来」が記されている。それをそのまま記載する。


神戸海軍操練所跡由来

 万延元年(一八六〇年)一月、幕府は遣米修好使節団を公
式に派遣した。その際、勝海舟は、咸臨丸(三〇〇トン)の
艦長として、万里の波浪とたたかいながら、一行の護衛と海
洋技術修得の大任を果たしたのである。これ、日本人による
最初の太平洋横断であり、わが航海史上、特筆大書すべき壮
挙であった。
 文久三年(一八六三年)四月、攘夷の世論ようやく急を告
げ、徳川家茂が摂海防備のため阪神海岸を巡視した。当時、
海舟は、軍艦奉行並の職にあって、これに随行し、神戸港が
天然の良港であり、国防の要港であることを力説した。かく
て、ここ小野浜の地に海軍操練所の創設をみたのである。
 この神戸海軍操練所は、兵学校、機関学校、海軍工廠を総
合した観があり、大規模な組織であった。勝海舟はここに天
下の人材を集め、日本海軍の礎を築き、海外発展の基地をつ
くろうとした。その高風を仰ぎ、来り学ぶ俊英二百の多きを
数え、坂本竜馬、陸奥宗光、伊東祐亨など、幾多有為の人材
を輩出したのである。
 元治元年(一八六四年)、海舟は、禁門の変に操練生の一
部が反幕軍として参加したため、激従養成の嫌疑を被って解
職され、操練所もまた翌慶応元年(一八六五年)三月、つい
に閉鎖されるの止むなきに至ったのである。
 当時は、この「記念の錨」から東へ長くひろがり、南は京
橋詰から税関本庁舎を望むあたりの、長方形の入堀約一万坪
の一帯が海軍操練所であった。惜しくも現在では阪神高速道
路の下に埋めたてられて、当時の盛観をしのぶに由もない。
今はただ、遠く諏訪山公園からこの地を見守る勝海舟直筆の
碑文を仰ぐことのできるのがせめてもの救いである。
 ここに当時を偲び郷土を愛する人びとに、この記念の碑を
捧げる。
 昭和四十三年十月建立
        兵 庫 県 知 事 金井元彦
        神 戸 市 長   原口忠次郎
        神戸商工会議所会頭 浅田長平
                寄贈 洲崎喜夫
                   小野米吉

 9月18日と19日の両日にわたって開催される第2回みなと町神戸ツーデーマーチでは、この旧神戸海軍操練所跡の碑が、竜馬ブームに乗った形でコースに組み込まれている。18日の東5kmコースには残念ながら組み込まれていないが、両日とも参加されるウォーカーの皆さんは2回、目にすることになる。

 第2回みなと町神戸ツーデーマーチに参加されるウォーカーの皆さんの神戸市内の宿泊先はここをクリックしてくださいね!
posted by booknikoniko at 21:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 神戸歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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