2010年03月30日

贅沢な趣味検定のととけん(日本さかな検定)

 日本は四海を海に囲まれた国です。日本では旬の美味しい海産物を五感で楽しむことができます。

 今、この日本の食文化や日本文化を露骨に否定してしようとする大量に穀物を消費する牧畜文化の国々があります。クロマグロやクジラの問題は、環境問題に名を借りた日本の食文化や日本文化の問題です。

 日本の食文化を知らないのは、大量に穀物を消費する牧畜文化の国々だけではありません。魚には骨があるから食べたくない、という日本の子どもたちも少なくありません。

 こうした中でこのたび、“魚を学び、旬をおいしく食す”日本に生まれたしあわせを味わいつくす贅沢な趣味検定が誕生しました。それは、一般社団法人日本さかな検定協会が平成22年(2010年)5月23日(日)に実施される「日本さかな検定」です。

 この「日本さかな検定」の愛称は「ととけん」で、魚の知識やおいしく食べるための術を身につけ、日本人と魚との“旨い!”出会いを応援します。魚の知識は奥深く、おもしろく、おいしく、日本に生まれたしあわせを享受できる贅沢な趣味の検定です。

 検定用の読んで楽しい公式ガイドブックも販売されているそうです。

 検定の概要は次のとおりです。

受験資格 :魚に関心を寄せる人なら誰でも受験できます
申込締切日:平成22年(2010年)4月15日(木)
      団体の場合は、平成22年(2010年)4月7日(水)となります

検 定 日:平成22年(2010年)5月23日(日)
検定会場 :東京・大阪(会場は、発送される受験票に記載されます)
検 定 料:3級:4,000円(税込)
      2級:5,000円(税込)

問題形式 :マークシート100問4者択一方式
      (合格は、3級60問以上、2級70問以上正答となります)
申込方法 :インターネットからの申込と郵便払込取扱票での申込があります

お問合せ先:日本さかな検定事務局 
      Tel.03−3233−4808(土・日・祝日除く10:00〜17:00)
      e-Mail : info_kentei@nippan.co.jp
      公式サイト http://www.totoken.com/
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2010年03月28日

日本で最初の鉄道トンネルの石屋川隧道工事

 JR西日本 神戸支社では、平成17年3月に『神戸駅130年史 〜神戸の鉄道 誕生から現在まで〜』を発行しています。

 神戸・大阪間(32.7km)を開業したのは、明治7年(1874年)5月11日ですが、工事の始まりは明治3年(1870年)10月24日です。実は全線工事に先駆けて、明治3年(1870年)10月24日に始まったのが、石屋川隧道工事です。

 神戸・大阪間の隧道は石屋川、住吉川、芦屋川の3カ所ありますが、線路が川底を隧道により通過しています。

 『神戸駅130年史 〜神戸の鉄道 誕生から現在まで〜』の「石屋川隧道工事」には次のように書かれています。

 石屋川隧道工事が、明治3年(1870)10月24日、全線工事に先駆けてはじまった。このトンネルは、石屋川の下を横断する延長61mの短い隧道であったが、工事はイギリス人技術者らの指導のもと進められ、川の流れを木製の仮水路でいったん付け替え、河床を切り開いて掘り下げ、単線円形断面としてアーチ環とインバクートアーチをレンガで畳築したのと埋め戻す工法であった。高さ4m、幅4.3mで、覆工にはレンガが用いられ、工事開始から約9ヵ月後の4年7月に完成した。
 なお、わが国最初の鉄道隧道としての旧石屋川隧道は、明治27年の複線化工事の際に、側壁を整層切石積に置き替えた。その後、複々線化工事により、大正8年(1919)に解体され跨線水路橋となった。さらに線路の高架化に伴い、上り線は昭和46年(1971)8月、下り線は50年7月にそれぞれ橋梁に改築され、今日では石碑が残されている。(p.13-14)

旧石屋川トンネル跡.JPG
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2010年03月26日

『遺品整理屋は聞いた! 遺品が語る真実』を読む

 父の七回忌、弟の三回忌の年忌の法要は営まれたものの、殆ど手付かずの状態になっていることがある。遺品整理だ。特に父の遺品は全くの手付かずとなっている。母との話はいつも遺品の整理が中心となるが、全く進んでいない。多分遺品整理を専門に扱っている業者にお願いすることになるのだと思う。

 遺品整理が進まないのは、故人の生活を暴きだしてしまうことが嫌だからではないかと漠然と感じているからだろう。知りたいとは思わないが、片付けているうちに知ってしまうことは分かりきっているからだ。

 一体、遺品整理を専門に扱っている業者は、どんな気持ちでお仕事をされているのかを知りたくて、『遺品整理屋は聞いた! 遺品が語る真実』を手に取った。

 読んでいて一番つらかったのは、「兄の死で初めて明らかになった「悲しい真実」」だった。


 この本で少しばかり気になった箇所を引用させていただきます。

p.54 遺品現場で意外に多いのが、浴槽の中で溺れて亡くなったケースです。
p.54〜55 (ご遺体が)発見されるのに時間がかかった場合、水の色は黒く濁り、表面には腐った味噌汁のような白い膜が張っています。剥がれた皮膚が浮いている場合も多く、手の皮が透明な手袋になってワンタンのように浮いているのを見たときは、私もスタッフも絶句しました。

p.64 日本では毎年、自殺者が三万人を上回っています。自殺によって亡くなったと思われるケースの中で、私たちが一番多く経験するのは縊死(首つり)があった現場です。そのような現場に私たちが到着したときには、遺体だけが運び出されて、鴨居にかけられたロープやベルトなどがそのまま残っていることがよくあります。

p.81〜82 昭和の遺品
 ・大量のトイレットペーパーとティッシュペーパー
 ・贈答品
 ・調味料や缶詰
 ・通販で買った食材など
 ・使い捨てライター
 ・切手
 ・食器
 ・使わなくなった鍵
 ・こけしなど土産ものの人形
 ・乾電池
 ・書籍
 ・客用布団
 ・昔のスーツ類や着物
 ・新聞の切り抜き
 ・紙袋と包装紙
 ・写真

p.104 孤独死の現場には、単に物を大切にする人とは異なる、ある一つの特徴があります。それは、故障したまま放置していたらしき電化製品があまりにも多いということです。

p.106 家電や家具に限らず、人間関係において、そして自分の体についても、時々調整が必要であり、ある一定の幅を超えて、おかしくなったり、不調になったりしたら、そのつど修復していこうとするのが普通でしょう。何事も長い時間がたてば調子がおかしくなったり、部分的に壊れてしまったりします。ところが孤独死の現場を見ていると、故人は物も人間関係も自分の体も、おかしくなればおかしくなったまま、修理しようとせずに、そのままにし続けていたように思えてならないのです。

p.123〜124 親族が立ち会いを一切行わない現場
 ・遠方で現場に行くことができない
 ・何十年も疎遠でいた親族に関わりたくない
 ・孤独死させてしまった罪悪感から、行きたくても行けない
 ・自殺現場だから怖い
 ・死臭がきつくて部屋に近づけない
 ・迷惑をかけられたと思っている
 ・ご近所の方と顔を合わせたくない
 ・身内同士の殺人現場だったから

p.128 遺品の命
 遺品の一つひとつにもし心があるとしたら、それぞれの命が尽きるときには、「故人と一緒に生活できてよかったな、この世の中に存在してよかったな」と思えるようであってほしい。

p.136 遺品を手に取って初めて気づく故人の気持ちや遺族への思いやりは、遺族にとってはたまらなく切なく哀しいものになるかもしれませんが、遺品を確認してあげて形見分けとして引き取ってあげることが、故人に対する最高のご供養になると思います。

p.143 多くの人は自分のために生きることに必死です。しかし、福田さんのお兄さんやお母さんのように、誰かのために自分の生き方を変えることができる人もいるのです。


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2010年03月24日

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2010年03月22日

JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります

 大正14年(1925年)3月22日午前9時30分、「JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります」という有名なアナウンスで、日本のラジオ放送は産声をあげました。

 日本の最初のラジオ放送はNHK(東京放送局)と思われていますが、実は違うのです。大正11年(1922年)、アマチュア無線マニアの本堂平四郎がラジオ放送実験を行ったのが最初です。報知新聞(現読売新聞系スポーツ紙ですが、当時は東京五大新聞の一つでした)も本堂平四郎を支援して、大正12年(1923年)春には、帝国発明品博覧会の会場で実験放送を行っています。

 新聞社を中心とした民間放送開局の動きが広まりましたが、ある事件のために頓挫します。大正12年9月1日の関東大震災によって、放送電波は防災と治安のための公共の目的のために独占しなければならない、ことに政府の方針が突如変更したのです。こうして大正14年に設立されたのが、NHK(日本放送協会)です。

 1895年(明治28年)、イタリアの青年マルコーニが無線電信を発明
 1899年(明治32年)、マルコーニはドーバー海峡間50kmの横断電信に成功
 第1次世界大戦中、無線電信機を軍に納めたGE(ゼネラル・エレクトリック)とWH(ウェスティングハウス)が戦後、無線放送に進出。無線電信がラジオに変わる

 昭和26年(1951年)、民放のラジオ放送が始まる

 インターネットラジオラジオ付き携帯電話も開発されている
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2010年03月19日

瀬戸内寂聴、加藤唐九郎を語る・続

 日本経済新聞の3月14日日曜日の瀬戸内寂聴さんの「奇縁まんだら」には、先週に続いて「天にも上る心地の唐九郎」というタイトルで、加藤唐九郎のことが書かれています。

 白洲正子加藤唐九郎との対談集のことや着物を購入したことなどが書かれていますが、何といっても気になったのは、「要するに(永仁の壷事件は)大東亜戦争直前に、軍に命じられ、国民精神高揚運動で協力したのだと告白している。」という箇所です。

 前回の記事で「翠松園」という地名がでてきて、その主が加藤唐九郎であることを初めて知りました。実は小学校に入学して担任でもない何人かの先生方に「お前は翠松園のお屋敷に住んでいるのか」と聞かれたことがあります。家に帰って両親に話すと「知らん。親戚ではない」と言われました。それは正しかったことになりますが、「翠松園のお屋敷」の主とは誰かとずっと気になっていたのです。もっとも何で何人もの先生方に聞かれたのは今もって分かりませんが。

 今回の記事で引っかかったのは、「軍に命じられ」とか「軍につながる問題」とかの箇所です。

 通っていた小学校は、自衛隊の駐屯地がある町でした。現在もあります。米軍の家族キャンプが小学校の校区内にあり、近くの神社の神主の息子とは同級で、近くの同級生と神社の境内でよく遊びました。たまに有刺鉄線で覆われた近くでツル性の植物の実やカニや魚をとったりしたことがありました。気が付いてみると、急に米軍の家族キャンプがなくなり、その跡地は公園となりました。今思えば、60年日米安保条約改定のためだったと思いますが、その当時はそんなことは考えてもみないことでした。

 米軍のジープは小学校の隣の道路を猛スピードで走っていましたので、道路横断には注意するように学校から言われていました。校庭から米軍のジープが通るときに「ヤンキー ゴーホーム」とよく叫んだものです。上級生が叫ぶので下級生もいつしか一緒に叫ぶようになったのでしょう。

 小学校の裏手には自衛隊の演習場がありました。米軍のジープだけでなく、自衛隊の車両が演習のためによく通っていました。山肌が垂直にむき出しになっているのは、射撃演習でそうなったのだと聞かされていました。当然立ち入り禁止地域なのですが、なかには薬莢を拾って鉄屑屋に売って生活費の足しにしている家庭もあったようです。現在この演習場はどうなっているかは知りません。

 この演習場の近くに「翠松園」はあります。戦前がどうだったのかは知りませんが、「翠松園のお屋敷」の主の近辺に自衛隊の演習場が配置されていたのは、無形の圧力だったのではないか、とこの記事を読んで感じた次第です。
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2010年03月17日

大輪田橋のたもとにある戦災殉難者慰霊碑

 清盛塚・十三重の塔と琵琶塚から中央市場に向かって新川運河の中央を跨いでいる3連アーチ石造の橋は、大正13年(1924年)に建設された名橋の大輪田橋です。この大輪田橋東詰北側には親柱があり、その右には震災で倒壊した柱が、大輪田橋戦災・震災復旧モニュメントとして横たわっています。

 ちょうどこの大輪田橋戦災・震災復旧モニュメントのある橋のたもとにあるのが、戦災殉難者慰霊碑です。戦災殉難者慰霊碑の入口は中央市場に向かって少し歩いたところにあります。その入口には「戦災殉難者慰霊碑来歴」があります。その来歴には次のように書かれています。

          戦災殉難者慰霊碑来歴
   大東亜戦争末期昭和二十年三月十七日アメリカ合衆国B29
   爆撃機の神戸大空襲に遭った此の地、大輪田橋下暗渠内で
   多数の方々が被爆死されました。
   あの悲惨な状態、猛火のもと恐怖と悔しさの地獄図は日本人
   として未来永劫、忘れる事はないでしょう。生き残った町住者
   が、尊い生命を失われた人々に深く心からご冥福をお祈り
   すると共にこの悲運を永く後世に伝える為、出在家町協議会
   の手で此の地に慰霊碑を建立しました。協議会は恒例行事
   として、ご命日には町住者による慰霊祭を施行しております。
   殉難死された方々の安らけき事を只管祈り続けん。
     昭和二十二年九月      出在家町協議会  敬白

戦災殉難者慰霊碑.JPG

戦災殉難者慰霊碑来歴.JPG


 大輪田橋は神戸市兵庫区にありますが、昭和20年3月17日、神戸市湊区(現兵庫区)に住んでいた母は、防空壕に入れなかったために、神戸大空襲で焼け出されたものの、幸い無事でした。昭和20年6月5日の神戸大空襲で、今度は住吉村(現神戸市東灘区)で二度目の焼け出しに遭うことになります。

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2010年03月16日

大輪田橋東詰北側にある大輪田橋戦災・震災復旧モニュメント

  清盛塚・十三重の塔と琵琶塚から兵庫運河を跨ぐ清盛橋を渡ると、薬仙寺があります。

 薬仙寺境内には、戦災・震災モニュメントがあります。そのモニュメントは平成7年(1995年)1月17日の阪神・淡路大震災で大被害を受けた大輪田橋の崩落した石材の一部を使って作られています。この大輪田橋は、清盛塚・十三重の塔と琵琶塚から中央市場に向かって新川運河の中央を跨いでいる3連アーチ石造の橋で、大正13年(1924年)に建設され、大輪田泊に因んで名づけられた名橋です。

大輪田橋.JPG


 大輪田橋東詰北側には親柱があり、その右には震災で倒壊した柱が大輪田橋戦災・震災復旧モニュメントとして横たわっています。そのモニュメントの説明文には次のように書かれています。

           大輪田橋戦災・震災復旧モニュメント

    平清盛公ゆかりの地名にちなむこの大輪田橋は、1924年の竣工以来、
   二度の大きな災害に遭っています。1945年3月17日の神戸大空襲では、
   水を求め、この橋に避難した多数の市民が、炎にまかれ犠牲になりました。
   橋にはその時の炎で黒く焼け焦げた跡が、今も残っています。そして50年
   後の1995年1月17日の阪神・淡路大震災により、この橋自体の親柱が
   崩れ落ちる被害を受けました。
    ここに、戦災と震災を経験した「生き証人」でもある親柱をモニュメント
   として再構成し、その時節の冬の星座をかたどった照明によって、私たちの
   記憶を永くとどめるとともに、鎮魂の意を示すものです。
                             1998年10月
                              神 戸 市

大輪田橋モニュメント.JPG
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2010年03月15日

薬仙寺の戦災・震災モニュメントと神戸大空襲犠牲者慰霊碑

 清盛塚・十三重の塔と琵琶塚から兵庫運河を跨ぐ清盛橋を渡ると、薬仙寺があります。

 薬仙寺の地は、奈良時代行基菩薩が開いたと伝えられる大輪田の湊に接し、平安時代にはたびたび千僧供養が行われた所です。承元元年(1207年)法然上人が讃岐に下るとき、この薬仙寺へ立ち寄り大衆を教化され、文久元年(1861年)には英国初代公使オールコックの一行が兵庫開港予定地を視察するため宿泊した由緒ある寺院です。(薬仙寺にある神戸市教育委員会説明板による)

 この薬仙寺境内には、戦災・震災モニュメント神戸大空襲犠牲者慰霊碑があります。戦災・震災モニュメントの説明板には次のように書かれています。

   大輪田橋は神戸の誇る名橋として全国的に
   知られている。1945年(昭和20年)
   3月17日の大空襲では、この橋近くに避難
   した500名を越すともいわれる市民が犠牲
   となり、橋も炎で真黒に焼け焦げた。それから
   丁度半世紀、1995年(平成7年)1月17日
   の大震災でも大被害をうけ、親柱などの石材が
   大崩落した。修復にあたり旧石材破棄するに
   忍びず、ここにその一部をモニュメントと
   して保存した。大空襲、大震災の惨禍を後世に
   伝え、また犠牲者に鎮魂のまことをささげる
   ものです。

戦災・震災復旧モニュメント.JPG



 また、神戸大空襲犠牲者慰霊碑の説明板には次のように書かれています。

   今時大戦中神戸は空襲により大被害をうけた。なかでも
   昭和20年3月17日・6月5日の大空襲被害は大きく、
   市街の大半を焼却し多くの尊い生命をうばった。
   私達市民は二度と戦争の惨禍をおこさない決意をあらたにし、
   あわせてその犠牲者約一万名の霊の安らかならんことを
   心から祈念し、遺族市民から寄せられた浄財によって
   この碑を建立した。
     除幕 昭和50年3月16日
     碑石 大阪府下能勢の黒御影石 約10トン
     デザイン 環境造形Qグループ(山口牧生
          増田正和 小林陸一郎各氏)
     卍  焦熱地獄の熱風と平和の風を象徴
     慰霊祭毎年3月17日午後1時より碑前にて
     施主 神戸空襲を記録する会

空襲慰霊碑.JPG
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2010年03月14日

明日3月15日、山陽電車は開業100周年を迎えます

 風にのった沈丁花の香りを吸い込む。白モクレンや紫モクレンの花びらが少しずつ開いてくる。木瓜は赤色の花をやウンナンオウバイは黄色の花を今を盛りとたくさん咲かせている。

 春は神戸の鉄道にとって、色々と記念となる日が多い。今日3月14日、山陽電車開業100周年記念ウォークが開催された。明治43年(1910年)3月15日、山陽電車(正式には山陽電気鉄道)の前身の兵庫電気軌道が兵庫・須磨間5.7km全線複線で開業した。山陽電車開業100周年記念ウォークのスタート地点は湊町公園でゴールは須磨浦公園駅だが、旧兵庫駅を通って基本的には現在の山陽電車の路線に沿うようなコースになっている。

 ゴールでは参加者全員に参加賞が渡されたが、開業記念日である3月15日に先立って、記念ウォーク参加者向けに「開業100周年記念入場券」が販売されていたので、購入した。「開業100周年記念入場券」の袋の中には記念入場券が4枚入っており、兵庫電気軌道、神戸姫路電気軌道、宇治川電気、そして山陽電気鉄道の社章が印刷されており、袋の表には「明治43年(1910年)兵庫電気軌道(株)開業当時の兵庫駅」の写真がのっており、裏面には開業から昭和20年までの「客車両数の推移」がのっている。

山陽電車100周年ウォーク.JPG


 兵庫電気軌道開業に先立つ明治43年(1910年)3月10日、阪急電鉄の前身の箕面有馬電気軌道が梅田・宝塚間と石橋・箕面間で営業を開始し、大正7年(1918年)2月、阪神急行電鉄と改称した。

 阪神電気鉄道は、兵庫県下で初めての民営電気鉄道として、明治38年(1905年)4月12日、神戸(雲井通8丁目)・大阪(出入橋)間で営業を開始した。

 現在は廃止となった神戸市電の前身の神戸電気鉄道は明治43年(1910年)4月5日、春日野道、瀧道、栄町、楠公園を経て兵庫駅を結ぶルートで営業を開始した。

 神戸・大阪間の官営鉄道(旧国鉄)が営業を開始したのは、明治7年(1874年)5月11日だ。
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2010年03月12日

祖母と母が姫路駅で大根をかじりながら東の赤い空を見ていた

 昭和20年(1945年)3月13日深夜、母と祖母は姫路駅に着いた。神戸に向かう列車はもうなかった、というより神戸に向かう筈の列車が大阪から来なくなったので乗車できなくなったらしい。東の空が赤くなっているのを駅頭から目撃したそうだ。東の空というのは大阪だった。大阪大空襲だった。3月10日には東京大空襲があり、それから何日も経っていないのに大阪を米軍機が焼夷弾を大量に爆撃した。

 祖母の実家は現在の香美町だが、姉が江原駅の近くに住んでおり、近くの農家から米などの食糧が手に入るときいていたので、少しでも食糧を分けてもらおうと祖母と母の二人が3月13日朝出かけたそうだ。

 お昼頃に江原駅近くの姉の家に着いたのだが、白米の昼食が食べられると期待していたのに、出されたのはお茶一杯だけで、後は何もでなかったそうだ。食料は何も期待できそうにないと思い、仕方なく手ぶらで神戸に帰ることにしたところ、大根2本がお土産として渡されたそうだ。近隣の農家から食糧が手に入るというのは実際にはどうだったのかは分からないが、やはり食糧事情はよくなかったのだろう。

 播但線経由より福知山線経由の方が運賃は安いのだが、もう福知山線経由では神戸に帰るいい列車がなかったので、和田山で播但線に乗り換えて姫路駅に向かったそうだ。

 ようやく姫路駅に着いたものの神戸に向かう列車はなく、仕方なく翌朝の朝一番の列車を待つことにしたそうだ。その時に大阪大空襲で燃える大阪の赤色を見たわけだ。東の空は明石か神戸か西宮か尼崎かと思ったらしいが、大阪とまでは思わなかったそうだ。

 お昼には久しぶりに白米のご飯が食べられる、と期待していたのに、お茶一杯だけでもう半日近く経っているので、さすがにお腹がすいた、どうしようということになって、お土産にもらった大根2本は洗ってあったので、東の赤い空を見ながら1本ずつかじってひもじさをしのいだそうだ。

 翌朝の一番列車で神戸に帰ったが、結局、食糧調達は徒労に終わってしまった。
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2010年03月10日

どうしてお手元に外国証券があるというのでしょうか?

 会社勤めをやめてから家にいることが多くなりました。家の中にいれば気楽か、と思いきやなかなかどうしてです。それは予期せざる電話や訪問者が意外に多いからです。この予期せざる電話や訪問者の対応はなかなか大変なことが分かりました。

 電話の中には例の振り込め詐欺の電話があります。近所には「オレオレ詐欺」の電話がかかってきた時、「家には俺なんて子はいません」と言ったところ、電話の主が「チェッ」と舌打ちして電話を切ったそうです。

 セールス電話もよくかかってきますが、技術的に非常に優れている会社が、新規上場を考えているので、新規上場前に特別に販売しているので買わないか、という新規公開株詐欺電話もよくかかってきます。資料は送らなくてもいい、と言っているにもかかわらず、立派なパンフレットが書留とか速達で送ってきます。送られてきたパンフレットにはURLが書かれていますので、そのURLでアクセスするとパンフレットの会社概要資料とその会社のホームページに書かれていることは同じになっています。

 しかし、なぜかホームページには新規公開を検討しています、という記述はありませんし、上場準備室なるものは、その会社とは必ず別の場所におかれてあり、ホームページに書かれてある事務所等にはありません。新規公開を準備していないのですから、準備室を設ける必要性は全くありません。何より電話してくる会社は新規公開株を扱えるような会社ではないことが、一番怪しいことです。

 最近の詐欺と思われる電話は、「お手元に外国証券があったら買いたい、その会社の証券を買い集めているので」というものです。聞いたこともない会社名の証券をどうして持っている、などと勝手に電話してくるのでしょう。そういえば、3日ぐらい前に「外国証券を買わないか」という電話がかかてきて、資料はいらない、と言ったにもかかわらず打っ棄っていた封筒があることを思い出しました。開封するとやはり買いたいといってかかってきた電話の主がいっていた会社でした。

 買わないか、という会社と、お持ちでしたら買います、という会社は、当然裏でつながっているわけで、そうでなければどうしてお持ちでしたら買います、などとは言えないわけです。外国証券を買わせる新たな手口でしょう。買いますといってきた会社は、もしお手元に外国証券がありましたら次のところに電話してください、と言いましたが、その電話番号は携帯電話でした。外国証券を買ったら、即座にその携帯電話はつながらなくなるでしょう。外国証券が外国株式の場合もあります。

 それにしてもどうして電話番号とか住所を知っているのか不思議です。たまに名前を間違えて読む場合もありますから、漢字名だけでふりがなのない名前の名簿が売買されているのでしょう。

 ワンルームマンションを買わないか、とかかってきた電話の主に聞いた時は、高校の卒業名簿を見て電話をしました、と言っていましたが、この場合は十分に分かる話でした。しかし、新規公開株や外国証券等の場合はどういう風にどういう経路で誰が名簿を作っているのか全く分かりません。


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2010年03月08日

『Twitter革命』の著者、神田敏晶さんのセミナーのご案内

 今、Twitter(ツイッター)が旬の話題です。知人の神田敏晶さんが3月19日(金)にセミナー講師を務めます。

 神田敏晶さんは神戸市の出身で、『Twitter革命』の著者です。阪神・淡路大震災の年、平成7年(1995年)からビデオストリーミングによる個人放送局「KandaNewsNetwork」を運営開始し、シリコンバレーで起業もした方です。

 Twitterは、ネットビジネスのマーケティングツールとして期待されていますが、まだそのノウハウがよく知られていないのが多くのネットマーケッター、ネット事業者の悩みとなっています。

 でも、大手企業や先進的な中小企業、起業家は、すでにTwitterを活用して成果をあげています。
アメリカでは上位100社のうち半分がTwitterの公式アカウントをオープンして広報活動をしています。

 それからもう1つ。今後のネットマーケティングを語る上で、ポイントになるのがインターネットを使ったライブ放送です。
 これは、ソフトバンクが筆頭株主になったことで注目されているUstream.tvを使うことで可能になります。

 広告は、文字から映像へ、そしてライブへと移り変わっていくようです。

 そこで、いち早くTwitterとUstream.tvを活用したマーケティングの手法を学ぶ機会があるのでご紹介します。

『Twitterが変えるネットビジネスの今!+Ustream.tv活用法』セミナー。

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 講師は、ベストセラー『Twitter革命』の著者、神田敏晶氏、J-Waveの人気MCサッシャ、そして、アメリカ在住のネットマーケッター岩元貴久氏です。


 残席がかなり少なくなっていますので、できるだけ早く、いますぐ申し込むとよいでしょう

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2010年03月07日

瀬戸内寂聴、加藤唐九郎を語る

 日本経済新聞の日曜日の紙面には瀬戸内寂聴さんが「奇縁まんだら」を連載されています。思わぬ登場人物や人間関係が登場してなかなか楽しめる連載物となっています。

 今回(3月7日)は「加藤唐九郎、シャンソン歌う」とあり、例の永仁の壷事件で有名な陶芸家とう一体どういう交流があったのか妙に知りたくなりました。読み進んでいくと昔よく耳にした地名が出てびっくりしたのです。それは「翠松園」という地名でした。「指定された時間に唐九郎さんの翠松園に出かけていった。六千坪もあるという地所に住居も窯場もあるわけだが・・・」という中に「翠松園」という地名が出てきたのです。

 実はこの「翠松園」という場所は、通っていた小学校の校区内にあるところでした。この「翠松園」には気難しい大金持ちが住んでいて近寄ってはならぬ、と小さい頃言われておりました。校区内でも子どもの足では結構遠い所なので遊びに行こうという気にもなりませんでしたが、一体どんなお屋敷に誰が住んでいるのかはずっと気になっていました。

 近くにはお嬢様大学と言われていた金城学院大学があり、毎日その大学を眺めていましたが、その近くに一体誰が住んでいるのだろうと思っていたのです。

 そうか、あの翠松園に住んでいたのは加藤唐九郎だったのか、あそこで作陶活動をしていたのか、ということを50年以上も経って知りました。それにしても思わぬ記事から教えられることになりました。

 加藤唐九郎記念館が現在ありますが、まだ訪れたことはありません。きっと昔近寄ってはならぬと言明されていた所の一角にあるのだと思います。

 加藤唐九郎記念館には、昔よく利用していた名鉄瀬戸線の大森金城学院前駅で下車して行くことになると思いますが、「お堀の電車」と言われていた名鉄瀬戸線も直角に曲がるカーブに車両が対応できるのは2両まででしたので、通勤電車として多くの通勤客を運ぶには限界があり、現在ではお堀を走らなくなりました。大森金城学院前駅という駅も昔は大森駅でした。


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