2010年02月28日

ラクウショウの気根(呼吸根)

 神戸の植物園や公園にはメタセコイアがよく植えられています。幹はまっすぐに伸びきれいな円錐形の背の高い木でスギ科です。

 このメタセコイアによく似た木にラクウショウがあります。この木も神戸の植物園や公園にはよく植えられています。ラクウショウは別名をヌマスギといって、落羽松と書きます。漢字では松と書かれますが、別名がヌマスギであるようにスギ科の木です。ラクウショウも幹はまっすぐに伸びきれいな円錐形の背の高い木です。

 ラクウショウはメタセコイヤと混同されることが多いですが、ラクウショウの葉は互生(互い違いに出てくる)ですが、メタセコイヤは対生(左右そろって出てくる)ですので違いが分かります。

 水辺に植えられたラクウショウには、木の周囲に突起物があります。これは気根(呼吸根)といって根の一部が地上部に出たものです。

 また、ラクウショウの花粉は、スギ花粉と同じように、花粉系アレルギー物質です。

ラクウショウの気根:離宮公園.JPG
須磨離宮植物園のラクウショウの気根(呼吸根)


posted by booknikoniko at 16:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月21日

神戸アンサンブルソロイスツ第20回記念演奏会

 神戸アンサンブルソロイスツ第20回記念演奏会を聴きにいきました。平成8年(1996年)3月に第1回演奏会が西山記念館で開かれて、今回が第20回となる記念演奏会です。阪神・淡路大震災を乗り越えての第20回記念演奏会 誠におめでとうございます。今で8〜9回聴きに行っていると思います。

 演奏曲目は、
1曲目:交響曲 ハ長調 R・ワーグナー
2曲目:交響曲 第1番ハ短調 J・ブラームス
の2曲です。

 R・ワーグナーが交響曲を作曲していたことを初めて知りました。「交響曲 ハ長調」は1832年、19歳の作品で、第4楽章まであります。
 第1楽章では、後年の歌劇「タンホイザー」「ローエングリン」で聴かれるバイオリンとチェロの奏法の音が少し現れています。
 第2楽章では、指揮者の高橋義人さんの解説では「メンデルスゾーンを彷彿とさせる歌謡的な主題」とありますが、ベートーヴェンの「交響曲 第7番イ長調」の第2楽章のモティーフの使い方を、チェロとバイオリンによって踏襲している楽章でした。 
 第3楽章は、解説にある通りで、ベートーヴェンの「交響曲 第7番イ長調」の第3楽章のスケルツォに非常によく似た曲でした。

 2曲目のブラームスの「交響曲 第1番ハ短調」は生でよく聴く曲です。非常に緊張を強いられる曲で、第4楽章でホルンが高々と歌い上げ、バイオリンが小波のように演奏すると、今までの緊張からホッとする時が訪れます。湖面に急にまぶしい太陽が突然浮かび上がってくるような感じです。

 アンコールはなかなか粋な計らいでした。というのは、ブラームスの「交響曲 第1番ハ短調」の第2楽章だったからです。今回の演奏は決定稿による演奏でしたが、実は第2楽章は初演稿とは異なっているとのことです。アンコールでは、最初に決定稿と初演稿との違いの説明があり、その後に初演稿で演奏されました。初演稿での演奏会は最終的に決定稿となるまでに、9回演奏されたそうです。

 今回はなかなか面白い企画の記念演奏会でした。

posted by booknikoniko at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月18日

メジロが前を横切る

 近くの公園に散歩中、膝の前あたりを一羽のウグイス色の鳥が横切っていった。メジロだ。

 メジロの名前は知っていたが、メジロを初めて見たのは、阪神・淡路大震災前に住んでいた東京だった。3月上旬、確定申告の書類をK税務署に提出した後、近くの羽根木公園に梅を見に行った。羽根木公園ではちょうど梅まつりが行われており、観梅の人々で多かった。

 白梅にはウグイス色の鳥が何羽も蜜を吸いに来ていた。「梅に鶯」とはよく言ったものだ、と思っていたら、誰かが「ウグイスだ」と叫んだ。すると写真を撮っていた初老の男性が「あれはメジロだよ。目のまわりが白いだろ」と教えてくれた。確かにそうだ、だからメジロというのだということを初めて知ったのだった。 

 今よく見るは、スズメ、ヒヨドリ、ムクドリ、メジロ、カラスの順だ。最近、あまり見かけなくなったのは、シジュウカラだ。

posted by booknikoniko at 18:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月16日

初めて初日に確定申告の書類を提出しました

 初めて確定申告の初日に確定申告の書類を提出しました。確定申告をするようになって四半世紀が経ちます。例年3月15日か3月16日に提出することが多かったのですが、今年は2月16日に提出しました。

 なぜ早く提出することができたかというと、申告書作成に必要な資料が早めにそろったからです。早めにそろったのは、今まで収入があったのに昨年途中から収入がなくなり、未収入であっても契約上収入に計上しないといけないので、早めに必要書類を整理していたら、確定申告ができる状況になったからです。

 資料を整理していたら、定額給付金の書類がでてきました。そういえば定額給付金をもらったなあ、ということを思い出しました。定額給付金にプラスして固定資産税の支払に回しました。

 毎年毎年何かしら税制が改正されるので、それに対応しないといけません。今回の申告では使用はしませんでしたが、「所得税の確定申告書付表(上場株式等に係る譲渡損失の損益通算及び繰越控除用)」にある「(2) 本年分の損益通算前の分離課税配当所得金額」と「(3) 本年分の損益通算後の上場株式等に係る譲渡損失の金額又は分離課税配当所得金額」の項目が一番気になった箇所です。

 以前、配当所得を申告して手痛い目にあったことがあります。所得税で還付されても、市民税や健康保険料にはねかえり、所得税で還付される金額を大幅に上回ったことがあったので、何のために配当所得を手間をかけてまで申告するのかをきちんとシミュレーションすることは非常に大事です。

 確定申告の書類の提出にはたいして時間がかからないだろうと思ったら大間違いでした。既に100人以上が並んでおり、提出までに40分かかりました。渡り廊下まで長くはみだしている列に新たに並ぼうとする人が「搭乗口みたいだなあ」とは言い得て妙でした。

 3人で提出書類の受付を行っているのですが、しばしば停滞します。原因は3つでした。1つ目は印鑑が未押印であること、2つ目は名前等必要事項を記入していないこと、3つ目は控えを持ってきていないのに控えをよこせと言い張る高齢者、が余りにも多かったことです。

 申告するための書類を取りに来ている人も多く、見ていると医療費控除用の書類を取りに来ている人が多かったようです。

posted by booknikoniko at 15:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 投資脳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月15日

瀬戸内寂聴、小林秀雄を語る

 日本経済新聞の日曜日の紙面に瀬戸内寂聴さんが「奇縁まんだら」を連載されています。思わぬ登場人物や人間関係が登場してなかなか楽しめる連載物となっています。

 昨日(2月14日)は「小林秀雄、卓をどんと叩く」とあり、非常に興味あるタイトルとなっていました。面白かったのを引用すると「小林さんのヒステリーにも馴れてきた。長い車の道中にきいてみた。「先生、あまりお書きにならないようですけど、何で食べていらっしゃるのですか?」「ああ、骨董の鑑定だよ」「へえ、先生はそんなに目利きなんですか」「おれがいいと言えば、その品は、よくなるんだ」「うわあ!凄いですね。先生の鑑定料って高いんですか」「まあね、ほどほどに」」

 思わず笑ってしまったが、それは白洲正子のことが頭をよぎったからで、「そうだったんだ」と一人で合点したものです。

 今から40数年前に、小林秀雄さんを見たことがあります。横浜高島屋で法隆寺だったかさだかではありませんが、名品展を開催していて、「小林秀雄さんが来られる」というのを耳にはさんだ直後に、陶器の裏側を観ていたところにお嬢さんとお二人で来られたことがありました。陶器を観ている小林さんをガラス越しにじっと観ていたことがありました。非常に穏やかな優しい老人とお見受けしました。

 小林秀雄さんの文章は大学受験問題によく出ていたり、現代国語の教科書にも出ていたと思いますが、現代国語の先生が「小林秀雄の文章が難しいのは、文章を書いてからところどころ消しゴムで消すから、論理が飛躍するから難しいのだ」と冗談っぽく言ったことがありました。 

posted by booknikoniko at 15:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 言葉と脳 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月14日

甦る神戸の名門オリエンタルホテル

 阪神・淡路大震災で全壊となったが
ORIENTAL HOTEL(オリエンタルホテル)15年ぶりに甦ります。3月3日にオリエンタルホテルがいよいよ開業します。浪花町56番地といえば神戸銀行(現三井住友銀行)を意味し、明石町40番地といえば大丸神戸店を表したように、京町25番地といえばオリエンタルホテルを意味したあの神戸旧居留地の京町25番地に開業するのです。

 兵庫開港後、神戸の発展は
ORIENTAL HOTEL(オリエンタルホテル)とともに発展してきたといっても過言ではありません。震災後、オリエンタルホテルがなくなり、神戸は灯が消えたようにさびしくなってしまいました。被災後神戸の活性化だ、と言って頑張ってきましたが、やはりシンボルが必要でした。15年ぶりに神戸のシンボルが復活するのは喜びにたえません。

 また、名門オリエンタルホテルの料理が味わえるのは非常に楽しみなことです。


阪神・淡路大震災で被災した15年前のオリエンタルホテル
被災したオリエンタルホテル.jpg


3月3日にオープンするオリエンタルホテル
開業するオリエンタルホテル.JPG
posted by booknikoniko at 17:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 神戸歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。