2009年08月31日

アゲハチョウのドッキング

 庭のユキヤナギ(雪柳)の木陰のか細い枝先にアゲハチョウのつがいがぶらさがっていた。

アゲハチョウのドッキング.JPG


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2009年08月30日

1924年(大正13年)11月28日の孫文講演会

 大倉山公園にある「孫文先生之像」の前には碑文があります。この碑文には「中國ノ偉大ナル革命家である孫文が三民主義ヲ掲ケテ中華民国ヲ樹立シ、自由平等博愛ヲ信念トシテ、一九二四年十一月二十八日、神戸ヲ訪レ有名ナル「大アシア主義」ト称シテ講演東洋ノ王道文化ヲモツテ立國ノ基トスヘキコトヲ強調シ日本ノ朝野ニ多大ノ感銘ヲ与エタ」と書かれています。

 孫文は、1924年(大正13年)11月22日の朝、上海丸で上海を出発、翌23日に長崎に着きます。その日の夕方に長崎を出て、24日に神戸港の第四突堤に着きます。

 25日のお昼に、神戸商業会議所(現神戸商工会議所)副会頭で神戸市議会副議長の西川荘三が孫文に講演を頼みます。孫文は喜んで引き受け、演題は「大亜細亜問題」で28日に決まります。

 1924年11月27日の『神戸又新日報』の「中國國民党総理孫文氏講演会」という社告によれば、孫氏演題は大亜細亜問題、通訳は戴天仇氏、日時は今二十八日午後二時、場所は県立神戸高等女学校講堂、主催は神戸商業会議所・大阪朝日新聞社、後援は大阪毎日新聞社・神戸新聞社・神戸又新日報社、となっています。

 28日、孫文は講演会場の県立神戸高等女学校(翌1925年3月兵庫県立第一神戸高等女学校と改称、現神戸高校)に到着、講堂で女高生に対して挨拶、妻の宋慶齢もスピーチを行います。多くの群集が殺到したため、急遽体育館を第二会場として簡単な講演を行い、定刻より一時間遅れて講堂で講演を行います。

 孫文は講演の中で文化を二つに分けます。一つは仁義道徳に基く精神的なものを王道文化、武力や技術に基く物質的なものを覇道文化として、東洋の文化は王道文化、西洋の文化は覇道文化と言い切ります。日本は、元来王道文化を備えており、明治以来覇道文化をうまく吸収して今日の隆盛を築きあげた、と語ります。

 日本、トルコ、そして中国が中心になってアジア諸民族の団結をはかり、王道の文化によって覇道の文化に感化を及ぼしていこうではないか、と結んでいるそうです。

 孫文の講演が行われた兵庫県立神戸高等女学校は、1924年3月に新校舎落成します。その後神戸大空襲によって被災した兵庫県庁舎に代わり兵庫県本庁舎として使用されます。

 現在その校舎は既になく、兵庫県庁舎1号館に建て替えられています。兵庫県庁舎1号館の側壁に「兵庫県立第一神戸高等女学校跡」と「孫中山先生大アジア主義講演会の地」のプレートが埋め込まれています。
兵庫県庁舎.JPG


<参考文献>『孫文と神戸 補訂版』 陳徳仁・安井三吉著 神戸新聞総合出版センター 

孫文先生之像(大倉山公園):孫文と神戸、をご覧ください
兵庫県庁舎を設計した男、をご覧ください

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2009年08月29日

国立博物館の向かいにある氷室神社

 今日は奈良県文化会館に用事があったので、阪神三宮発の奈良行快速急行に乗って出掛けた。通り雨があったものの、小降りになったところで少し時間があったので、氷室神社に行った。バス停は「氷室神社・国立博物館前」となっており、奈良国立博物館の向かいに氷室神社があることを初めて知った。

 氷室神社の拝殿の前には溶けて小さくなっている氷がある。献氷の氷である。氷が溶けたしずくで足元が少し濡れている。献氷の横には「献氷について」という説明文がおいてある。説明文には次のように書かれている。

献氷.JPG


 古来より氷は日本人と深い関わりがあります。律令体制が確立された奈良時代には氷室の制度に基く蔵氷・頒氷が行われていました。宮内省内に主水司と呼ばれる氷を専門に扱う部署があり、朝廷に献上する氷の管理を行っていました。昔の氷は冬に氷池と呼ばれた氷が張る池で採取し、その氷を氷室に運び夏まで保存していました。その氷を供御の氷といい、それを使い氷水(かち割り氷)や削り氷(かき氷)を食して夏の暑さを凌いでいました。
 当社では夏季に古来の天然氷の生成に近い方法で作られた「純氷」を毎日お供えしております。皆様も参拝の際に是非純氷をお供えいただいて、神恩感謝と諸祈願をご祈念ください。献氷をご希望の方は社務所にお声がけください。

 氷室神社の拝殿は変わっている。拝殿は奈良市指定文化財として登録されている舞殿である。この舞殿では楽人による舞楽奉納を中心とする祭りが行われてきたそうだ。

氷室神社拝殿.JPG


 鳥居をくぐり参道を歩いていくと門の前には奈良で一番早く咲くという枝垂れ桜があり、奈良一番桜の通り名をもっており、樹齢は100年以上と言われている。残念ながら今の季節では葉桜だ。

 おみやげには「せんとくん」グッズはやめ、「御神鹿のふん」を買った。チョコ豆と黒豆の2種類があり、グッドな味だった。

7月25日は、夏氷の日です、をご覧ください



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2009年08月28日

孫文先生之像(大倉山公園):孫文と神戸

 神戸市中央区にある大倉山公園は3つの区画から成っています。文化・スポーツ施設から見ると、神戸市立中央図書館と野球場のある区画、神戸文化ホールのある区画、そして神戸市立中央体育館のある区画の3つです。この3つの区画は連続しているのではなく、いずれも道路によって分断されています。ただ神戸文化ホールと神戸市立中央体育館は歩道橋でつながるようにはなっています。

 大倉山公園を集合場所とする場合、どこかを明記しておかないとお互いに思っている所が違うと時間通りに来ていても会えなくなってしまうので、注意が必要です。

 以前、大倉山公園あれこれで、大倉山公園には面白いモノがあることを書きましたが、それは神戸市立中央図書館や野球場がある区画でした。今回は神戸文化ホールのある区画のある「孫文先生之像」をご紹介したいと思います。
孫文先生之像.JPG


 「孫文先生之像」は、昭和40年(1965年)11月、孫文生誕100年を記念して建立されました。胸像は台湾の彫刻家の作で、神戸華僑総連が中心となって準備し、神戸市に寄贈されたものです。

 胸像の前には碑文があります。この碑文は、元神戸市長の中井一夫の書になるもので、昭和61年(1986年)11月に神戸市によって設置されました。
孫文先生之像碑文.JPG


 碑文には次のように書かれています。

孫文先生
中國ノ偉大ナル革命家
三民主義ヲ掲ケテ中華民国ヲ
樹立シ  自由平等博愛ヲ
信念トシテ
一九二四年十一月二十八日 神戸ヲ
訪レ有名ナル「大アシア主義」
ト称シテ講演東洋ノ王道文化
ヲモツテ立國ノ基トスヘキコトヲ
強調シ日本ノ朝野ニ多大ノ感銘
ヲ与エタ
  西暦一九八六年十一月
第十代神戸市長中井一夫書

 孫文が始めて神戸に来たのは、明治28年(1895年)です。2回目の明治33年(1900年)には、孫文は神戸に何回も出入りしています。この年は義和団の乱(義和団事件)が起こった年です。その後も何回か神戸に孫文は来ますが、大正2年(1913年)3月13日に服部一三兵庫県知事、鹿島房次郎神戸市長らも出席する歓迎宴が開かれます。翌日の3月14日に川崎造船所(現川崎重工業)を訪問、その後に舞子にある呉錦堂の別荘に行っています。奥さんの盧慕貞と娘さんも一緒に日本に来ましたが、後に離婚します。

 碑文に書かれている1924年(大正13年)11月28日の講演会については、後日にします。

<参考文献>『孫文と神戸 補訂版』 陳徳仁・安井三吉著 神戸新聞総合出版センター 
 今日(平成21年8月28日(金))の日本経済新聞文化欄に「孫文日本に残る血脈 ◇辛亥革命指
導者、亡命時代に私の母もうける◇」という宮川東一さんの手記があります。

大倉山公園あれこれ、をご覧ください

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2009年08月27日

KOBE鉄人PROJECT 進行中! その2

 神戸市営地下鉄海岸線では、三国志と鉄人28号の装飾をした列車が8月22日(土)より運行開始となりました。鉄人28号の装飾をした車内には、「モニュメントのしくみ 鉄人鉄骨配置図」の窓ガラスシールが張られています。
090827_112512地下鉄窓ガラスシール.jpg
 

 鉄人パーツが若松公園内にあり組立が始まっていますが、27日現在の組立状況をアップします。
090827_1132198月27日鉄人28号組立状況.jpg


KOBE鉄人PROJECT 進行中!、をご覧ください

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2009年08月26日

高塚山植物観察記5:藤の実とヤマハギの写真

 久しぶりに高塚山に行く。藤の実が眼に入る。いつもは藤棚の藤の花や山に咲く藤の花に眼を惹かれるが、藤の実を意識して見たことがない。
藤の実.JPG


 ヤマハギも咲いている。
ヤマハギ.JPG


 日当たりの良い山の傾斜地ではクマゼミが鳴いているが、木漏れ日のある山の中ではツクツクボウシが鳴いている。どちらにも共通している蝉はアブラゼミだ。最近よく見かけるようになった鳥がいる。コゲラだ。

 新たに樹木に名前の札がぶらさがっているのが、今までとの大きな違いだ。樹木の名前を覚える良い機会だ。

高塚山の森を歩こう会(4) 植物観察記:「ムベ」「アケビ」「サンキライ」の花の写真をアップします、をご覧ください
高塚山の森を歩こう会(6) 植物観察記2:「カクレミノ」と「サンキライ」の実の写真をアップします、をご覧ください
高塚山の森を歩こう会(7) 植物観察記3:「カクレミノ」写真をアップします、をご覧ください
高塚山の森を歩こう会(8) 植物観察記4:「サルトリイバラ(サンキライ)」の巻きひげの写真をアップします、をご覧ください

樹木を調べるのに重宝してます。

よくわかる樹木大図鑑
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2009年08月25日

『お金持ちにはなぜ、お金が集まるのか』 鳥居祐一著 青春出版社

 この本を読もうと思ったのは、お金の使い方の基本を学ぶことに引かれたからだ。

 著者の鳥居祐一は三つの会員制プログラムを主宰している。高パフォーマンスな投資手法を伝授する「FX投資個別指導プログラム」、コーチングとは違った観点で成幸(成功ではなく成幸)へのナビゲートを行う「メンタープログラム」とミリオネア・マインドのオンラインスクール「ミリオネア・カレッジ」で、値段以上の価値を提供するようにしているとのことである。

 この本の中で一番実行したいことは、「空間」を大切にすることだ。ワンランク上のクラスを利用することは、広々とした座席でゆったりとくつろげることが一つの理由だが、もう一つの理由がある。それは、ワンクラス上の空間には、成幸者たちと出会うチャンスがたくさんあるということだ。もう一つの理由については考えてみたこともなかったので、なるほどと頷いたものだ。

 この本の中で一番気に入った文章を長くなるが引用させていただく。
「人生は大きな問題から些細なことまで、日頃あなた自身が行っている選択の連続がもたらしています。つまり、あなたがこれまで生きてきた歴史は、あなたがこれまでにしてきた無数の選択の結果であるともいえるのです。
 そして、現在のあなたの状況は、過去にあなたが選んできたものの集大成であり、あなたの未来も、これからのあなたの選択の結果だといえるでしょう。
 したがって、今あなたが選択し決断することは、そのままあなたの将来の利益や損失につながります。それだけに正しい選択と決断をすることは、人生において重要な意味を持つのです。すべての責任は決断を下した自分にありますので、毎日真剣に選択しなければ、悔いの残る人生になります。毎日の選択と決断を悔いのない正しいものにしましょう。」(p.242)

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2009年08月24日

新入社員の夏休み

 今日(平成21年8月24日(月))の日本経済新聞朝刊11面の「会社の常識 新入社員Q&A」に面白い質問が載っている。質問は「新人の上司が「夏休みは取るな。仕事を覚えよ」と言われたが、どうすればいいか」というものである。この質問への回答は新聞を見ていただくことにして、今から約40年前の新人の時の夏休みの苦い思い出を書いてみたい。

 私が入社したのは4月ではなく7月だった。入社した会社では7〜9月の間に3日間の夏休みをとれ、ということだった。8月になっていつ休みを取るのかと聞かれ、予定は全くなかったが、お盆の時期に3日間取ることにした。

 12月に入社して初めてのボーナスをもらった。支給明細書を見てびっくりした。予定より少ないからだ。原因は欠勤1日分が支給総額から差し引かれていたからだった。休んだ覚えもないので、おかしいと思って調べてもらったら、夏休みの3日間のうち、2日間は年次有給休暇の消化、あとの1日は欠勤ということだった。こちらは別に休みたくもないのに、3日間休めというから休んだだけなのに・・・。

 就業規則では7月入社の場合は2日間の年次有給休暇を与える、となっていた。就業規則は実際には読むことはないかもしれないが、我が身を守るためのその内容を知っておくことは大事だ。

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2009年08月23日

中村紘子さん、デビュー50周年記念リサイタルツアー開催

 今年9月で演奏活動50周年を迎えるピアニストの中村紘子さん。デビュー50周年を記念して限定CDの発売やリサイタルツアーのコンサートが開催される。

 9月16日発売の『中村紘子デビュー50周年記念 限定CD/BD Box』の予約受付は終了しているところもあるらしい。

 デビュー50周年記念リサイタルツアーは、本年9月から来年(2010年)7月にわたって開催される。リサイタルツアーは全国47都道府県で公演が開催される。9月に開催されるコンサートをご参考までにどうぞ!

 ●9月11日(金) 栃木県総合文化センター
 ●9月13日(日) 府中の森芸術劇場
 ●9月19日(土) サントリーホール
 ●9月21日(月・祝) ザ・シンフォニーホール
 ●9月27日(日) 横浜みなとみらいホール

 NHK交響楽団初の世界一周公演ソリストに抜擢され、華やかにデビューしたピアニストの中村紘子さん。N響が発行している『フィルハーモニー』誌の「むかしから今日までのN響」のよると、世界一周演奏旅行で、12カ国24都市で演奏したのは、昭和35年(1960年)の9月1日から11月1日、となっている。60年安保後に演奏旅行にいったことになる。

 中村紘子さんは、演奏活動だけでなく、新しい才能の発掘と育成にも尽力されている。ショパン国際ピアノ・コンクールとチャイコフスキー国際コンクールの審査員を歴任されており、音楽のまちの浜松国際ピアノコンクールの審査委員長を務めている。

全盲のピアニスト、辻井伸行さん、優勝おめでとう!、をご覧ください
あの辻井伸行さんの優勝コンクールのライブ盤が登場!、をご覧ください
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2009年08月22日

あの辻井伸行さんの優勝コンクールのライブ盤が登場!

 今年6月に行われた第13回ヴァン・クライバーン国際コンクールで見事優勝された、辻井伸行さん。日本中を透明で美しく柔らかなピアノの音で感動の渦に巻き込んだ、辻井伸行さん。

 いよいよ9月9日に、第13回ヴァン・クライバーン国際コンクールのライブ盤が登場します。このライブ盤は、ヴァン・クライバーン国際コンクールの独占販売権を持っているハルモニア・ムンディ社のライブCDが発売されるもので、コンクールでの演奏が収録されています。

 収録されている曲は次の通りです。

 ●ショパン:練習曲 作品10 より(予選での演奏)
     第1番 ハ長調         第4番 嬰ハ短調
     第2番 イ短調         第5番 変ト長調 「黒鍵」
     第3番 ホ長調 「別れの曲」  第6番 変ホ短調 
 ●ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第29番 変ロ長調 op.106 「ハンマークラヴィーア」(準決勝での演奏)
 ●リスト:「ラ・カンパネラ」(予選での演奏)
 ●ジョン・マスト:即興曲とフーガ(コンクール委嘱新作/新曲演奏課題曲)

 「ジョン・マスト:即興曲とフーガ」はこのコンクールのために書きおろされた新曲です。
 辻井伸行さんの場合、曲を暗譜するためにはすべて耳で聴いて覚えるしかないので、この現代曲は非常に難しかっただろうと思われます。このハンディを乗り越えての優勝ですから、非常に価値ある演奏となっています。

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2009年08月21日

鉄人街灯のある商店街

 「鉄人28号の巨大モニュメント」に先駆けて、鉄人街灯5灯が完成している商店街がある。JR・神戸市営地下鉄 新長田駅すぐそばにある大丸新長田店・ジョイプラザ(ショッピング施設)の南側にある商店街に鉄人街灯5灯が設置されている。その商店街は新長田1番街商店街だ。

鉄人街灯.JPG


鉄人街灯頭.jpg


 若松公園にできる「鉄人28号の巨大モニュメント」は建設中で、新長田1番街商店街はその東側にある。

 鉄人街灯は目玉が街灯になっている非常に面白いアイデアで楽しめる街灯だ。神戸元町商店街にある「すずらん灯」と並んで新たな神戸の商店街の文字通り目玉になって欲しいものだ。

スズラン 〜すずらん灯の西国街道〜、をご覧ください
KOBE鉄人PROJECT 進行中!、をご覧ください

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2009年08月20日

KOBE鉄人PROJECT 進行中!

 今神戸では、「KOBE鉄人PROJECT」が進行中です。

 「KOBE鉄人PROJECT」は、「鉄人28号」「三国志」「バビル2世」「魔法使いサリー」「ジャイアントロボ」「仮面の忍者赤影」等、数多くの名作を生み出された漫画界の巨匠・横山光輝先生の偉業をたたえ、ご出身地である神戸に「鉄人28号の巨大モニュメント」や「三国志」をテーマとした施設整備等による地域活性化をめざしています。

 この8月には、横山光輝先生の代表作の「鉄人28号」の18mもある巨大モニュメントの設置工事が行われています。設置場所は、新長田駅近くの若松公園です。

 鉄人パーツが若松公園内にあり組立が始まっていますが、20日現在の組立状況と1週間前の13日現在の組立状況をアップします。

鉄人28号胴体組立0820.JPG
20日現在の組立状況


090813_160515鉄人28号組み立て開始.jpg
13日現在の組立状況


 神戸市営地下鉄海岸線新長田駅構内壁面には、鉄人28号頭部付近の原寸大のラッピングがありますので、アップします。

鉄人28号頭部新長田駅.JPG


 神戸市営地下鉄海岸線では、三国志と鉄人28号の装飾をした列車が8月22日(土)より運行開始となります。運行時間は海岸線各駅窓口で案内されるとのことです。
 8月22日(土)10時頃に、海岸線新長田駅に両列車がそろうことになっています。



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2009年08月19日

北海道の名付け親が綱敷天満宮に奉納した神鏡

 「北海道」の名付け親で知られる幕末の探険家の松浦武四郎(1818〜1888年)が、波乗り祈願像や「なすのこしかけ」のある須磨の綱敷天満宮に奉納した神鏡があります。

 案内板によると、「聖跡第十四番須磨綱敷天満宮」と書かれてあるこの神鏡は、かつてこの社から北へ約200m余りの旧西国街道の一隅に「聖蹟二十五拝第十四番綱敷天満宮堂前発起人東京松浦武四郎」と書かれた道標がありましたが、阪神・淡路大震災で倒壊消失したとのことです。

松浦武四郎.JPG
 

 松浦武四郎は1818年、伊勢国須川村(現三重県松阪市小野江町)の生まれで、28歳の時初めて蝦夷地に渡ったのを契機として3回調査を行います。書き留めた記録が「蝦夷日誌」です。1855年(安政2年)に幕府から「蝦夷地御用の御雇入れ」を言い渡され、1857年(安政4年)には「東西蝦夷山川地理取調御用」を言い渡されます。1859年(安政6年)、42歳の時に内陸部を詳細に記した「東西蝦夷山川地理取調図」を完成させます。

 明治時代になり、明治政府は「開拓使」という役所をつくり、明治2年(1869年)に「開拓判官」に松浦武四郎を任命します。それまでの蝦夷地に代わる新しい名称を松浦武四郎は提案します。

 北海道という名称には「北にあるアイヌの人々が暮らす大地」という松浦武四郎の思いが込められています。国名(現在の支庁)や郡名にもアイヌ語地名に基いた提案を行っています。

 明治21年(1888年)2月10日、東京・神田の自宅で71歳の生涯を閉じます。

 三重県松阪市には松浦武四郎記念館があります。また、天塩川流域の市町村には記念碑があります。

綱敷天満宮の波乗り祈願像に参拝して、時勢の波に乗り、夢を叶えましょう!、をご覧ください
綱敷天満宮には「なすのこしかけ」もあります、をご覧ください

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2009年08月18日

神戸ポートタワー 展望室5F便り

 来る平成21年(2009年)10月3日(土)・4日(日)の2日間にわたって開催される第1回 みなと町神戸ツーデーマーチを紹介させていただいたが、その時お薦めの宿泊先として、神戸ポートタワーホテル(078−371−8080)もあわせて紹介させていただきました。

 今回は神戸ポートタワーホテルの命名の元になっている神戸ポートタワーをご紹介しましょう。

 神戸ポートタワーは神戸港の中突堤の付け根とも言うべきところに建っているタワーです。
 神戸ポートタワーは世界最初のパイプ構造の観光タワーで、昭和38年度建築学会作品賞などを受賞している観光タワーです。

神戸ポートタワー.JPG
陸橋から見た神戸ポートタワー(3Fになります)


 オープンしたのは、昭和38年(1963年)11月21日で、高さ108mです。タワーの上部の展望室と地上とはエレベーターで結ばれており、エレベーターは2基あります。料金は大人(高校生以上)600円です。神戸海洋博物館とのセット券もあります。

 チケット売り場は1Fで、エレベーター乗り場は2Fです。3Fはエレベーター降り場となっていますので、乗ることはできません。

 展望室4Fがエレベーター降り場で、おみやげ店があります。らせん階段を上がると5F展望室となり、360度の眺望を楽しむことができます。夜は1,000万ドルの夜景を楽しむことができます。下りのエレベーターは展望室3Fになります。展望室3Fには回転喫茶室があり、約20分で床が一回転します。

ポートタワーよりホテルを見る.JPG
 展望室5Fから神戸ポートタワーホテルを眼下に見る


ポートタワーより海洋博物館を見る.JPG
 展望室5Fから神戸海洋博物館を眼下に見る


 エレベーターの行き先表示が地上も上部(展望室)も「3」という字があって、分かりづらいところがありますが、今いる階をご確認してエレベーターに乗り、眺望をお楽しみください。

第1回 みなと町神戸ツーデーマーチ、をご覧ください。 

神戸ポートタワーホテルの3・4階には、美人の湯 人工温泉 炭酸カルシウム温泉大浴場があります。
 1階には愛犬も大丈夫なドギーパレスもあります。

神戸ポートタワーホテル
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2009年08月17日

『心を静める 大事な場面で実力を120%発揮する方法』 藤平信一著 幻冬舎

 怒りの感情が強すぎたばっかりに健康を損ねてしまい非常に長期間理由も分からずに苦しんできた。今思えば、自分でコントロールできない事に対して怒りを覚え、結果として自らの肉体を破壊することにエネルギーを費やしてきたことになる。

 今は「コントロールできない事は無視する」ようにしている。怒りの感情をできるだけ持たないようにしている。

 この『心を静める』という本の著者藤平信一さんは、心身統一合氣道の継承者で、心身統一合氣道という武道に基いて分かりやすく書いています。

 重要な決断を下すとき、「心を静める」ことはとても大切なことです。心を静めるには心と身体の関係を正しく理解した上で、日頃から訓練をしていくことが重要です。そして意識しなくてもできるレベルまで訓練してはじめて大事な場面で役に立つことができます。

 本書では、心を静めるための具体的な訓練として、次の3つを挙げています。
 一つ 正しい姿勢、二つ 臍下の一点、三つ 氣の呼吸法、です。

 自分の最大限の力を発揮できるように、心を静め、感情をコントロールできるように日々訓練している。

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2009年08月16日

「火垂るの墓」の碑、御影公会堂近くの戦後の闘い

 阪神石屋川の駅から石屋川に沿って、石屋川公園と呼ばれる長い公園を上流の方へ(山側に向かって)歩くと国道2号線の交差点がある。この交差点は「御影公会堂前」と呼ばれる交差点である。この御影公会堂前交差点の西南角の公園内に「火垂るの墓」の碑がある。

御影公会堂.jpg
石屋川右岸から見た御影公会堂
 

火垂るの墓.jpg


 アニメ映画『火垂るの墓(ほたるのはか)』は昭和63年(1988年)4月に公開されたが、『となりのトトロ』と同時上映だった。このアニメ映画のモデルとなったのは、野坂昭如の小説『火垂るの墓』で、第58回直木賞(昭和42年下半期)受賞作品である。

 昭和20年(1945年)6月5日の神戸大空襲で、母の家族は再び焼け出されることになった。母の実家は御影公会堂の近くで、国道2号線の山側(北側)にある。何回か建て替えた家が今もある。

 昭和20年8月15日の終戦後、御影公会堂近くの母の実家では何が起こったのだろうか。

 終戦後に大空襲で家を焼かれて他の地域で生活をしていた多くの家族が御影公会堂近くの元自分の家があったところに戻ってきた。そこで目にしたのは焼け野原に急ごしらえの掘っ立て小屋が乱立している光景だった。いつの間にか不法占拠されてしまっていたわけだ。不法占拠した側はどうせ大空襲で死んでしまったのだから、勝手に不法占拠しても構わない、ということだったのかもしれない。

 続々と所有者が戻ってきたので、所有者達は協力して不法占拠者に対する退去の闘いが始まった。そして不法占拠者から土地を取り戻したそうだ。

 土地を取り戻した所有者達の間で、今度は自分の土地はどこからどこまでかという線引きが始まった。戦前は今と違って土地に対してはおおらかだったらしく、あまり細かいことにはこだわらなかったらしい。正確にではなく大体この辺までだったということで近隣同士話し合いがついたらしい。

 ただ近隣同士の話し合いで合意はしたものの後で問題が発生することになる。

 次に起こった問題は減歩である。阪神・淡路大震災でも復旧時に安全・安心な街づくりの道路拡幅で減歩が大問題になったが、戦後も土地区画整理事業による道路拡幅で減歩が問題となった。旧住吉村(現神戸市東灘区)の土地区画整理所業である。一定の比率で土地を旧住吉村に各戸が供出することになった。

 世の中が安定するにつれ、土地神話が生まれ、阪神間の良好な住宅地として土地争いが起こるようになる。これは近隣同士よりも相続による争いの方がウェイトが大きい。相続問題で一体土地の面積が正確にどれだけあるか測量する。ここで驚くべきことが分かる。道路の西側から図った面積と東側から図った面積とでは違うことが分かったのだ。土地の登記簿謄本記載の面積と実測では異なることが分かったのだ。端に近い家は登記簿謄本通りの面積となったが、真中にある家は東西の調整を受ける形となり、登記簿謄本通りの面積とならなくなったのだ(狭くなった)。

 この問題はずっと尾を引く。阪神・淡路大震災で御影公会堂近くの多くの住宅が全壊した。全壊した建物を撤去したついでに東西の調整を受けた家が一方的に隣の家の敷地の中に巨大な塀を造ると言う暴挙に出たのだ。いくつか裁判となっているが、この暴挙は正当であると神戸地裁は判決した。

 阪神・淡路大震災で御影公会堂の近くの土地の面積は変わってしまっている。

2回空襲で焼け出された母、をご覧ください



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2009年08月15日

師範学校の校長Kさんのこと

 今日8月15日は64回目の終戦の日である。
 
 父の死後、母が初めて戦争のことをいくつか話した。父は戦争については一言も語らぬままこの世を去った。父の兄はシベリアに抑留され、ガリガリに痩せて戻って来たそうだ。その息子(従弟にあたる)がシベリア抑留について何か書いたらと言ったら、温厚な仏のような人が烈火のごとく怒り、従弟はそれ以来何も口に出さなくなったそうだ。筆舌に尽くしがたい苦痛と苦労の連続だったらしいが、いつどこで何をさせられていたのか具体的なことは一切分からない。父の兄も何も語らぬままこの世を去った。

 伯父がシベリアに抑留されていたことは、実は全く知らなかった。突然の弟の告別式に従弟も出席し、法要の後の会食事に、従弟に私に代わってある調べものをしてほしいとお願いした時に従弟がその話をしてくれた。父も母も伯父がシベリアに抑留されていたことを全く語らなかった。

 母が戦争について話したことの一つは母の父(私からは祖父になる)の友達のことだ。友達の名はKさんで、祖父とは同郷の好だ。祖父はKさんの勧めでトラバーユもした。

 Kさんは某師範学校の校長だった。Kさんの子どもさんは3人、息子さんが2人と娘さんが1人だった。Kさんの息子さん2人は東京で学生生活を送っていた。弟さんが友達の本を預かっていたところ、特高に踏み込まれ、弟さんは逮捕され、結局獄死した。友達の本とはマルクスの『資本論』だったらしい。弟さんと兄さんは一緒に生活していたが、兄さんは全く関係がなかったのに、特高に難癖をつけられ、逮捕され、病から弟さんと同じく獄死した。

 Kさんは二人の息子が特高に逮捕されたことから、教育者として失格だ、と師範学校の校長を辞任したそうだ。娘さんと3人で郷里に帰ることになった。その時使用していた家具を祖父に預かってくれと頼んで郷里に引っ越したそうだ。預かっていた家具は昭和20年の神戸大空襲で跡形もなく燃えてしまった。勿論預かっていた家具だけでなくあたり一帯の民家は焼夷弾によりすべて燃えてしまった。

 Kさんの娘さんは郷里に引越し、戦後しばらくして栄養状態が悪いせいか結核にかかり病死してしまう。Kさん夫婦は3人の子どもさんがありながら、3人の早過ぎる死を看取ることになる。

2回空襲で焼け出された母、をご覧ください

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2009年08月14日

夏水仙(ナツズイセン)の花

 花の名前が夏水仙なので、水仙の仲間かと思ったらそうではありません。ヒガンバナ科の花です。春に水仙に似た葉を出し、夏に花が咲くので夏水仙という名前がついたそうです。

 花はスイセンにはあまり似ていませんが、花径8cmほどの淡ピンク色の美しい花です。

 毎年庭に咲く夏水仙の花を見てきましたが、いつも気になっていたことがありました。それはめしべです。おしべはしっかりとした形なのに、めしべはいつの間にか先端が落ちてしまっている、なぜだろう、と思っていたのです。今回写真を撮ってめしべを見ると、先端は落ちてしまっているのではなく、赤い部分がありました。これがめしべなのです。安心しました。

夏水仙.JPG


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2009年08月13日

迎え火。今年もまた暑いお盆の季節が始まる

 今年の梅雨明けは8月になってからという妙な夏の始まりとなった。甲子園では雨天順延もあったが、猛暑の中高校球児の熱い闘いが続いている。

 暑い夏の行事は熱闘甲子園だけでなく、今日8月13日は盆の入りで、夕方家の前で火を焚き祖先の霊を迎える。これが迎え火と言われるものだ。

 迎え火という言葉は知ってはいたが、迎え火の行事をしたのは父の初盆が初めてだった。
 「焙烙(ほうろく)」と呼ばれる素焼きの皿ではなく、屋根瓦にオガラを折って積み上げ火をつけて父の霊をはじめとした祖先の霊が、間違わずに来られるよう目印とした。

 オガラとは皮をはいだ麻の茎のことだが、迎え火だけでなく、足として使用する。
 それはキュウリの馬とナスの牛の足としてオガラを折って用いる。御住職のお話では、ご先祖様がこの世に来るときには、キュウリの馬に乗って急いでおいでになり、帰りはお土産が重いのでナスの牛に乗ってゆっくりお帰りになる、ということだった。

 今年もまた暑いお盆の季節が始まる。

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2009年08月12日

新たな神戸の名所! エルヴィス・プレスリーの銅像

 平成21年(2009年)8月9日、「ロックンロールの王様」と呼ばれたエルヴィス・プレスリーの銅像が神戸ハーバーランドに設置された。設置された場所は、神戸新聞社が入居している神戸情報文化ビルの東側だ。当日の除幕式には小泉純一郎元首相や音楽評論家の湯川れい子さんが参加したそうだ。

 エルヴィス・プレスリーの銅像の高さは約2メートル、台座を含めると高さ約3メートルになる。没後10年の1987年、ファンらの寄付で造られたものだ。東京・原宿のロック専門店前に設置されたが、閉店したため移転先を探していたところ、日本のジャズ発祥の地とされる神戸が選ばれた。

エルビス・プレスリー銅像.JPG


エルビス・プレスリー銘板.JPG


 銘板には、「ELVIS AARON PRESLEY January 8,1935−August 16,1977」とある。

 案内板には次のように書かれている。

 エルヴィス・プレスリーは、1935年1月8日、アメリカ合衆国ミシシッピー州テュペロに生まれました。1954年7月、サン・レコードから「ザッツ・オール・ライト」で衝撃的デビュー、1956年1月、RCAから「ハートブレイク・ホテル」を発表、全米のみならず全世界にロックン・ロール旋風を巻き起こし、音楽界に一大革命を成し遂げました。爾来、音楽史の流れを変え、広く社会・文化に多大な影響を与えただけでなく、レコード、映画、コンサート、慈善行為等を通じ、国境を超え、人種を超え、世代を超え、地球上の何百万、何千万、あるいは億を超える人々に、喜びと楽しみと、夢と希望と愛を与え続け、1977年8月16日、テネシー州メンフィスの自邸グレースランドにて、42歳7ヵ月8日の若さで悲劇的な死を遂げました。エルヴィス・プレスリーこそ20世紀最大のスーパースターと称せられるでしょう。
 エルヴィス・プレスリーは、その生涯において遂に来日することはありませんでしたが、日本に於いても直接、間接を問わず、現代のポピュラー音楽に多大な影響を及ぼし、測り知れない貢献を致しました。
 エルヴィス・プレスリーの功績と栄誉を永く称え、日本のファンの愛と感謝の念を全世界のファンにアピールするために、そして広く日本の音楽ファンに彼の偉大さと重要性を認識してもらうために、日本のエルヴィス・ファンが力を合わせ、ここにエルヴィスの銅像を建立致しました。

               エルヴィス没後10年、レコード・デビューの日
                     1987年7月19日


 エルヴィス・プレスリーは、32本の映画出演作品(ドキュメンタリーは除いて)があるが、全てが主役という驚異的な記録も残しており、このエルヴィス・プレスリーの銅像は、音楽だけでなく映画からも神戸がふさわしい設置場所だ!!




posted by booknikoniko at 19:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 神戸歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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