2009年06月14日

GE(ゼネラル・エレクトリック)創設者 トーマス・エジソン

 ダウ・ジョーンズ社が算出しているアメリカの代表的な株価指数のダウ工業株30種平均は、1896年5月26日から算出開始されており、算出開始時からの構成銘柄で今も残っているのは、総合電機・金融会社のGE(ゼネラル・エレクトリック)のみである。

 このGE創設者は、大発明家として有名なあのトーマス・アルバ・エジソン(Thomas Alva Edison)だ。エジソンは1847年2月11日、アメリカのオハイオ州ミランで生まれた。エジソン31歳
の時、1878年10月15日にエジソン電灯会社(Edison Electric Light Company)を設立。その後もいくつもの会社を設立。エジソンは1890年までに、それまで手がけていた様々な事業をひとつにまとめ、エジソン・ゼネラル・エレクトリック・カンパニー(Edison General Electric Company)を設立した。

 一方、トムソン・ヒューストン・カンパニー(Thomson-Houston Company)は、マサチューセッツ州リンの靴製造業者だったチャールズ・A・コフィンの下で一連の合併を通じて、代表的な電気イノベーション会社に成長した。

 両社とも、規模が拡大するにつれ自社の特許と技術のみで一連の電気設備を生産することがますます難しくなり、1892年に両社が統合し、新会社「ゼネラル・エレクトリック・カンパニー(General Electric Company)」が誕生したものだ。

 エジソンは数多くの発明をするが、その中の一つに“動く写真”『ヴァィタスコープ』の発明がある。『日活四十年史』(p.34)の第一節として「日本映画の夜明け」が記述されており。映画の発明の歴史が詳述されているので引用させていただく。

 一八九五年、アメリカのトマス・エヂソンは“動く写真”の発明を完成、これに『ヴァィタスコープ』と名づけた。
 同じ年欧洲ではフランスのルイとオーギュストのリュミエール兄弟が『シネマトグラフ』を発表し『リオン・モンブレジールにおけるリュミエール工場の出口』と称する一巻ものを映写することに成功した。また同年ドイツではマックス・スタラダノウスキーが『ビオスコープ』を、イギリスでは翌一八九六年ロバート・W・ポールが『シアトログラフ』を発表した。
(中略)
 この“動く写真”−−映画が、わが国に初めて渡来したのは、発明の翌々年の明治三十年(一八九七年)であつた。しかもこの三十年の二月から三月へかけてフランスのシネマトグラフと、アメリカのヴァィタスコープの二通りの活動写真機が、都合四ヵ所に輸入されたのである。
(中略)
 もつとも、この活動写真の前に、覗いて一人ずつで見るキネトスコープというのが明治二十九年十二月神戸に輸入されたのだが、一人ずつでしか見られないキネトスコープは何かにつけ不便でもあり、興行用にも不適当な玩具のようなものであるから、大した発展はしなかつた。(引用終わり)

 エジソンと日本とは深い関係がある。それはエジソンが発明した白熱電球だ。白熱電球は、長い研究の末、フィラメント素材に京都の竹を用いたことで完成された。京都府八幡市にある男山の竹は、セルロースのフィラメントにとってかわる1894年までの約10年間、「八幡竹(はちまんだけ)」の名で、エジソン電灯会社に輸出された。「八幡竹」を使用して何百万個の馬蹄型フィラメントの白熱電球が作られ、全世界に明かりを灯し続けたのだ。

 男山にある石清水八幡宮神内には、トーマス・アルバ・エジソンの白熱電球発明から50周年を記念したエジソン記念碑がある。また、京阪電車八幡市駅前にはエジソンの胸像がある。

エジソン記念碑.jpg

エジソン胸像.jpg


ダウ工業株30種平均の構成銘柄から消えたGMとシティグループ、をご覧ください
日活のDNAをさぐる、をご覧ください

posted by booknikoniko at 15:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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